銀河鉄道の夜はブロマンス
以下の文章はネタバレを含むけども、宮沢賢治の小説は筋を知ったからといって輝きが失われるものではない。大丈夫!
まずはブロマンスという単語に触れておく。ブロマンスは男性同士の親密な関係を表す造語で、いわば”友達以上”(ここで注意してほしいのは、この”友達以上”の延長線上に”恋人”という関係は存在しない、ということである。ブロマンスはあくまで異性愛者の男性間における関係を指す)の、相手に強い感情を抱くような関係のこと……と僕は認識している。有名なのはSHERLOCKというドラマだが、わかりやすい例を上げるならばナルトとサスケとか、ゴンとキルアとか、まあ、ようするに深い友情のこと。
銀河鉄道の夜はジョバンニとカムパネルラが銀河鉄道に乗って旅する物語だ。つまり、ここで議論されるのはジョバンニとカムパネルラの関係性である。まずはジョバンニとカムパネルラ個人についてそれぞれ説明したい。
ジョバンニについて
ジョバンニは宮沢賢治の小説に多い、不幸で、弱くて、虐げられている主人公だ。銀河鉄道の旅とは、ジョバンニの見た夢だ(正確には版によっては博士による催眠だったりもするのだが、そのへんはここでは割愛する)。ジョバンニの父親は漁に行ったまま帰ってこず、牢獄に入ったという噂も立っている。母親は病気で伏せており、ジョバンニは活版所で働いていて忙しく、最近は小さいころから仲良しのカムパネルラと遊ぶこともできない。そうして、学校の子供たちからは軽いいじめを受けている。
カムパネルラについて
カムパネルラはジョバンニの幼い頃からの友人である一方で、ジョバンニとは対象的に、子供たちの遊びを中心になって計画するような人気者でもある。心優しい少年で、ジョバンニのことを不憫に思っている。
続いて、本文から引用しつつ二人の関係について見ていこう。
二人の関係
小説冒頭、ジョバンニは先生に「天の川の正体はなにか?」と授業で当てられる。ジョバンニはその答えを知っていたが、毎日を仕事に忙殺され眠く頭の働かない状態で答えられない。それに続くシーンである。
「このぼんやりと白い銀河を大きないい望遠鏡で見ますと、もうたくさんの小さな星に見えるのです。ジョバンニさんそうでしょう。」
ジョバンニはまっ赤になってうなずきました。けれどもいつかジョバンニの眼のなかには涙 がいっぱいになりました。そうだ僕 は知っていたのだ、勿論 カムパネルラも知っている、それはいつかカムパネルラのお父さんの博士のうちでカムパネルラといっしょに読んだ雑誌のなかにあったのだ。それどこでなくカムパネルラは、その雑誌を読むと、すぐお父さんの書斎 から巨 きな本をもってきて、ぎんがというところをひろげ、まっ黒な頁 いっぱいに白い点々のある美しい写真を二人でいつまでも見たのでした。それをカムパネルラが忘れる筈 もなかったのに、すぐに返事をしなかったのは、このごろぼくが、朝にも午后にも仕事がつらく、学校に出てももうみんなともはきはき遊ばず、カムパネルラともあんまり物を云わないようになったので、カムパネルラがそれを知って気の毒がってわざと返事をしなかったのだ、そう考えるとたまらないほど、じぶんもカムパネルラもあわれなような気がするのでした。
カムパネルラがジョバンニを不憫に思い配慮していること、また、ジョバンニがそれを悲しく思っていることがわかる。
次はジョバンニとジョバンニの母親が会話しているシーンから。
「お父さんはこの次はおまえにラッコの上着をもってくるといったねえ。」
「みんながぼくにあうとそれを云うよ。ひやかすように云うんだ。」
「おまえに悪口を云うの。」
「うん、けれどもカムパネルラなんか決して云わない。カムパネルラはみんながそんなことを云うときは気の毒そうにしているよ。」
「あの人はうちのお父さんとはちょうどおまえたちのように小さいときからのお友達だったそうだよ。」
「ああだからお父さんはぼくをつれてカムパネルラのうちへもつれて行ったよ。あのころはよかったなあ。ぼくは学校から帰る途中 たびたびカムパネルラのうちに寄った。カムパネルラのうちにはアルコールラムプで走る汽車があったんだ。レールを七つ組み合せると円くなってそれに電柱や信号標もついていて信号標のあかりは汽車が通るときだけ青くなるようになっていたんだ。いつかアルコールがなくなったとき石油をつかったら、罐 がすっかり煤 けたよ。」
ジョバンニにとってカムパネルラがいかに大切な存在かわかる。余談だが、この授業や母親との会話のシーンは第四稿から加えられたものであり、物語の導入としてジョバンニの生い立ちやカムパネルラとの関係を掘り下げるほか、銀河鉄道への布石にもなっている。
銀河鉄道の旅
ジョバンニは「銀河ステーション」という不思議な声を聞き、カムパネルラと共に銀河鉄道の旅を始める。最近一緒に遊ぶどころか話すことも満足にできていなかったカムパネルラの旅はジョバンニにとって嬉しいものだった。というより、銀河鉄道の夢自体、カムパネルラと共にいて語り合いたいと願うジョバンニの心が見せたものと捉えることもできる。実際、銀河鉄道には二人の思い出が反映されている。
「ぼくはもう、すっかり天の野原に来た。」ジョバンニは云いました。
「それにこの汽車石炭をたいていないねえ。」ジョバンニが左手をつき出して窓から前の方を見ながら云いました。
「アルコールか電気だろう。」カムパネルラが云いました。
ごとごとごとごと、その小さなきれいな汽車は、そらのすすきの風にひるがえる中を、天の川の水や、三角点の青じろい微光 の中を、どこまでもどこまでもと、走って行くのでした。
ジョバンニの嫉妬
銀河鉄道の旅の途中で一人の女の子が乗ってくる。
「まあ、あの
烏 。」カムパネルラのとなりのかおると呼ばれた女の子が叫びました。
「からすでない。みんなかささぎだ。」カムパネルラがまた何気なく叱 るように叫びましたので、ジョバンニはまた思わず笑い、女の子はきまり悪そうにしました。
その子と会話をするカムパネルラに対してジョバンニは大きな嫉妬を見せる。その直前まで銀河鉄道の夜の主題である”幸い”についてあれこれ考えていたのにジョバンニどうしたの……。
「そうだ、孔雀の声だってさっき聞えた。」カムパネルラがかおる子に
云 いました。
「ええ、三十疋 ぐらいはたしかに居たわ。ハープのように聞えたのはみんな孔雀よ。」女の子が答えました。ジョバンニは俄 かに何とも云えずかなしい気がして思わず
「カムパネルラ、ここからはねおりて遊んで行こうよ。」とこわい顔をして云おうとしたくらいでした。
二人の顔を出しているまん中の窓からあの女の子が顔を出して美しい
頬 をかがやかせながらそらを仰 ぎました。
「まあ、この鳥、たくさんですわねえ、あらまあそらのきれいなこと。」女の子はジョバンニにはなしかけましたけれどもジョバンニは生意気ないやだいと思いながらだまって口をむすんでそらを見あげていました。女の子は小さくほっと息をしてだまって席へ戻 りました。カムパネルラが気の毒そうに窓から顔を引っ込 めて地図を見ていました。
(どうして
僕 はこんなにかなしいのだろう。僕はもっとこころもちをきれいに大きくもたなければいけない。あすこの岸のずうっと向うにまるでけむりのような小さな青い火が見える。あれはほんとうにしずかでつめたい。僕はあれをよく見てこころもちをしずめるんだ。)ジョバンニは熱 って痛いあたまを両手で押 えるようにしてそっちの方を見ました。(ああほんとうにどこまでもどこまでも僕といっしょに行くひとはないだろうか。カムパネルラだってあんな女の子とおもしろそうに談 しているし僕はほんとうにつらいなあ。)ジョバンニの眼はまた泪 でいっぱいになり天の川もまるで遠くへ行ったようにぼんやり白く見えるだけでした。
カムパネルラが「あれとうもろこしだねえ」とジョバンニに云いましたけれどもジョバンニはどうしても気持がなおりませんでしたからただぶっきり棒に野原を見たまま「そうだろう。」と答えました。
(こんなしずかないいとこで僕はどうしてもっと
愉快 になれないだろう。どうしてこんなにひとりさびしいのだろう。けれどもカムパネルラなんかあんまりひどい、僕といっしょに汽車に乗っていながらまるであんな女の子とばかり談 しているんだもの。僕はほんとうにつらい。)ジョバンニはまた両手で顔を半分かくすようにして向うの窓のそとを見つめていました。すきとおった硝子 のような笛が鳴って汽車はしずかに動き出し、カムパネルラもさびしそうに星めぐりの口笛を吹きました。
ジョバンニはカムパネルラと交際しているのでは?
共に行こう
ジョバンニは銀河鉄道の旅を通じて様々な人と出会い、”ほんとうのさいわい”について考えるようになる。そして、カムパネルラとどこまでも一緒に本当の幸いを探しに行きたいと願う。結婚では?
「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの
幸 のためならば僕のからだなんか百ぺん灼 いてもかまわない。」
「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙 がうかんでいました。
「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。
「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。
「僕たちしっかりやろうねえ。」ジョバンニが胸いっぱい新らしい力が湧 くようにふうと息をしながら云いました。
「僕もうあんな大きな
暗 の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」
別れ
つらい
ジョバンニもそっちを見ましたけれどもそこはぼんやり白くけむっているばかりどうしてもカムパネルラが云ったように思われませんでした。何とも云えずさびしい気がしてぼんやりそっちを見ていましたら向うの河岸に二本の電信ばしらが丁度両方から
腕 を組んだように赤い腕木をつらねて立っていました。
「カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ。」ジョバンニが斯 う云いながらふりかえって見ましたらそのいままでカムパネルラの座 っていた席にもうカムパネルラの形は見えずただ黒いびろうどばかりひかっていました。ジョバンニはまるで鉄砲丸 のように立ちあがりました。そして誰 にも聞えないように窓の外へからだを乗り出して力いっぱいはげしく胸をうって叫びそれからもう咽喉 いっぱい泣きだしました。もうそこらが一ぺんにまっくらになったように思いました。
裏話をすると、当時の資料などからジョバンニとカムパネルラのモデルは宮沢賢治とその妹トシだと言われており、まさに二人の関係はブロマンスそのものと言える。また、今回は二人の関係に着目して紹介したが、銀河鉄道の夜は幻想的で美しい世界観、死や幸福の在り方の追求など、この二人だけに留まらない素晴らしい小説なので、ぜひ読んで欲しい。とくに、カムパネルラがなぜいなくなってしまったのか、それはここでは敢えて触れずにおこうと思うので、読んで知ってほしい。