みみずく通信

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レモン・ドロップス

ずっと心に残っている小説がある。

 

その小説に初めて出会ったのは中学生のときに受けた模試で、国語の試験の題材だったと思う。

主人公は中学3年生の女の子で、大好きだったおばあちゃんが認知症になり、だんだんおばあちゃんらしくなくなっていく中で、無神経で自分のことしか考えていないと思っていたお姉ちゃんのやさしさに触れる物語だった。

 多感な思春期のころの心の揺れ動きの描写が見事(などと、今となってはわかった風に書いているが、当時の僕はただ主人公にどっぷり感情移入していた)で、小説の持つ雰囲気も好きで、試験が終わったあとも「今日の模試の小説はおもしろかったなあ」なんて考えていた。

それだけならよくあることで、なんなら僕は試験を受けるたびに「今日の小説はおもしろかったなあ」と思っていたような気さえするが、この小説だけはその後もずっと心に残り続けた。ふとした瞬間にあの小説のことを思い出した。小説の中でおばあちゃんがレコードでかけていたジャズのことを考えた。物語の中で象徴的だった三日月とレモンキャンディのことを思い出した。

何度かネットであの小説を見つけようと探していたが、高校二年生のとき、ついにおぼろげな記憶からインターネット上の情報に到達した。レモンキャンディだと思っていた小説の本当のタイトルはレモン・ドロップスだった。あらすじやレビューを読み、そうそう、こういうお話だった、と懐かしく思った。そのうち買おうと思った。

高校3年生の夏、図書館で受験勉強をしていた僕は、積分の応用問題を放り出してYA文庫の棚を見ていた。友達が好きなあの作家の小説、昔読んでおもしろかった小説、最近話題になってる小説、と眺めながら、ひょっとしてあの小説も置いてないかな、と思っていると……レモン・ドロップスがあった。

正直言ってその作家はあまり有名ではなく、街の図書館の小さな青少年向けコーナーに置いてあるとはあまり期待していなかったので、とてもうれしかった。初めて読むレモン・ドロップスの全体像はやっぱり素敵で、がんばって小説の名前を突き止めておいてよかった、と思った。

なぜ今になってこの話をしているのかというと、読んだのだ。23歳の春の日曜日の午後に、思春期の思い出となったこの小説を、本当にひさしぶりに。

 読んで少し悲しくなった。読む前は、きっと以前読んだときと同じように感動が押し寄せてくるのだろうと思っていたけど、読んだあとの感想は「あれ、これで終わりだっけ?」だった。そして、これはおそらく思い出が美化されているというわけではなく、僕がもうこの物語の当事者ではないということなのだろう、と思った。模試のときに抜粋されていた部分も、絶対に忘れないだろうと思っていたのにどこだったかはっきりとはわからなくなっていた。

もちろん今でもこの小説が好きだ。この歳になって読み返したことで新しく気づいたこともある。当時はまだ作中に出てくる梶井基次郎檸檬も読んでなかったし、ムーンライト・セレナーデも知らなかった。自分が大学生になったことで主人公のお姉ちゃんに対してはむしろ感情移入できるようになった。読み返すたびに視点が違うというのは小説の醍醐味でもある。ただ、こうなるとわかっていれば、もっとその時の自分が読んで感じたことをちゃんと文字にして残しておけばよかった……と思い、今こうして文章を書いている。